気分が落ち込む出来事とそれを忘れる時間
転職して以来、新しい経験に些細なことで落ち込んでしまって、ひどい時は子供のお世話も出来ないくらい塞ぎ込んでしまうことがある。
でも期間にバラツキあれど1日〜1週間くらいの間に考える事をやめて、忘れて来た。
こういう事象を分解してパターンを可視化すれば、うまくモヤモヤをコントロール出来るのではと考えてみた。
※鳩追い中の息子
例えば、周りの人にキツイ言葉を投げかけられるような場合は3日くらいその言葉が頭をぐるぐるする。長すぎる…。こういう時は、その本人と普通に会話が出来るとモヤモヤが晴れる。
自分が失敗をしてしまった場合、他人に責められるか否かでダメージ度合いが異なる。責められなければ、1週間くらいで回復するも、責められた日には1ヶ月くらいどん底になる。他人に責められたパターンだと、その人の信頼を回復させるか、他の事で挽回するかしないと立ち直れないパターンが多い。
ある問題をただ考えないだけでは、モヤモヤが晴れず、行動に結びつけて妥協点を見出すとこまでしないと消化出来ない性格のよう。
本当に真面目。
仕事辞めたいやめたい病
8年間勤めた会社を昨年円満退職し、別業界の会社に転職しました。
半年経ったいま、転職したことを後悔しながら毎日悶々としてます。前の会社戻りたい…。
30歳過ぎてゼロからのスタート、簡単なことすらミスする自分、完璧主義の先輩、暇すぎる仕事、やり甲斐が見えず、仕事も好きになれず、といった状態です。忙しければ気が紛れるのですが、暇だと鬱々としてしまうので、心壊れる前に辞めたいと思いと、この転職失敗が自分の経歴に傷をつける事実に気持ちがうまく整理できません。
yahoo知恵袋で転職後前の会社に戻った人のエピソードを漁ったり、転職に失敗した人のブログを読んで自分を慰める毎日です。
それでも子供たちは元気いっぱいで、旦那は相変わらず能天気に過ごしているので、毎日の生活をきちんとする事で、時間が経ってくれることを待ってます。
娘の小学校入学を乗り越えれば、目の前が明るく開ける気がします。
あと3ヶ月。
家族のこと
大学4年生の時、1日限りの単発バイトで、旦那と知り合った。サングラスでもないメガネをタンクトップの襟のとこに引っ掛けてた謎の人…。なんか話しやすい人だなと思い、帰り際に私から連絡先を聞いた。
高校も大学も違い共通の友人もいない何ら接点のない私たち。
あの時連絡先を聞かなければ、二度と会うことはなかっただろうなと思うと、人生何が節目になるのかよく分からない。
彼が東京で就職し、私もたまたま東京で就職になり、2人揃って東京に住むことになった。上京から1年も経たずに結婚。結婚3年目で何となく子供が欲しいねという話になり、娘を妊娠出産した。
仕事は子供を早く産んだこともありパッとしない時期が続いた。娘が1歳〜2歳頃にはだいぶ彷徨い転職活動もした。その後やりたい仕事にも恵まれ、息子も産まれた。
子育てに関しては、旦那の協力もあり、ほとんど悩むこともなく娘は小学生になる。
息子と娘はやりたい放題で、お風呂でひたすら水掛けられたりするけれど、2人の笑顔に囲まれると、この子たちに出会えて良かったなと思う。生きてる意味を感じる瞬間。
中国語との出会い
彼氏にノコノコついて行き大学進学した私は、それは浮かれていた。大学へ行くより、バイト先と彼氏の家を往復していた。
けれど、大学2年の時振られてしまう。傷心の私は、どういう経緯か振られたことを忘れるため上海に短期留学しようと思いついた。
もともと中国語は第1言語だったんだが、発音のテストで追試させられるほど苦手だった。その状態で上海で中国語を基礎からやり直した。
当然上海でも落ちこぼれだったので、帰国後一念発起して、毎日テキストをやり直し、語学学校にも通い、1年後上海にまた長期留学する。
失恋が中国語の勉強を真剣にやろうと思うキッカケになった。今でも中国語が私の生活の一部であり、つい最近までは、中国語が仕事の手段だった。中華圏のたくさんの友達も中国語のおかげ。台湾のドラマも楽しめるし、微博で好きなスケーター情報も集められる。
彼が今なにしてるか知らないが、あの時、私の人生から消えてくれたことをとても感謝している。
学生の頃を思い出す
小学生の頃、将来の夢は公務員になることだった。
人並みの生活を送りたい、クビにならない安定した仕事、そんな考えだったんだと思う。当時は、家も貧しくなかったが、物心ついた頃から、心配性だった。
その後、実際、家計が非常に苦しくなり、子供ながらにも、世の中平等でなく、この貧困を抜け出すために出来ることは勉強しかないなと思っていた。
あまり治安の良い地域に住んでなかったので、特に中学生の頃は、周りに不良と呼ばれる人が結構いた。普通だった友達も影響され、何だかおかしな方向に進んでいった。
でも、生まれながらの心配性の私は、全く彼らの影響も受けず、図書館で本を借りて夜な夜な読み、部屋にこもりラジオを聴いて、せっせと文通したりしていた。友達付き合いもあまりなかったので、いつも1人だった気がする。
高校生になると、部活に入ったおかげで友達も出来て、彼氏も何人か確かにいた。いま思うと、彼らは私の勉強を妨げる要因になっており、結果浪人した。
お金はなかったけれど、とにかく家を出たくて、当時の彼なる人が進学した地域の、学費が抑えられて寮がある大学に進学した。私の学力で確実に受かるところはそこしかなく消去法だった。
その後も、大事な選択を迫られる時は、当時の自分と何ら変わらない感じで、やり過ごしてきたと思う。